林檎に牙を:全5種類
馴れ初め。
少女漫画描いてる気分だったよ…
でも、それだけじゃなかったり。
初めて言葉を交わした時、目を奪われてしまったのは嘘ではない。

零れるように垂れ気味な翠の双眸、鼻梁の通った甘い顔立ち。
背も薄い筋肉も確かに男の物だと云うのに、しなやかに細い身体。
女が惹かれる容姿であるのは間違い無く。
其れは深砂にも同じ事。

一目惚れ?

否、幾ら何でも心まで持って行かれた訳ではない。
艶やかさを差し引いても尚滲む傲慢な気配。
薄く笑う唇が与える印象は、誰に対してだろうとも冷たい。


水仙とは己に恋した少年なのだと云う言い伝えがある。
不眠不休で水鏡に向かった末に死んでしまった。
そして、其の屍が姿を変えたのだと。
あれはそう云う美しさ。
他者に背を向けて、ただ自己満足を極めるだけの悦楽。
関心事は人形を生み出す事のみ。

ならば、行為の時は如何なのだろう。
快楽だけを求めるのなら、相手の事など構わずに貪ったりするのだろうか。
あの酷薄な笑みを色濃くして。
想像しかけて、全くの時間の無駄だと打ち払った。

組み敷かれる対象になりたいのではない。
興味を持ったのは、己だけを見つめている姿なのだから。


其の奇妙な感情を植え付けた男は、和磨と云った。




「あ、そのファイルに載ってるのが僕の作品ね。」
「写真でもやっぱり眼力強いね、人間と人形の境が見えない。」
「嫌だなぁ、深砂ちゃんまだ素人なんだから解らなくたって良いんだよ。」
「ああ、うん、そうだね……」


此処で寝食を共にする生活も二月目。
とは云えども、顔を合わせるのは食事と仕事の時間のみ。
こうして二人きりになってしまうなど稀。
冬は陽が傾くのが早い。
薄闇の迫る資料室、沢山の本棚に囲まれて影は深く。

頬杖を突きながら聞き流しては時折に乾いた相槌。
改めて思うが、よく喋る男だ。

他者の事など一切考えずに行動するのは、さぞかし楽だろう。
神経を逆撫でする口調で好き勝手な言葉を並べ続ける。
意図しないままなのだから尚更に質が悪い。
深砂に忍耐強さが無ければ、既に席を立っている。
けれど流石に、


「静かにしてくれる?」


黙らせるには、何も手を上げるばかりが能じゃない。
至極簡単な事。
塞いでしまえば良いのだ、口唇で。


此の時機で口付けされるなど、和磨でなくても誰も思うまい。
大きく見開かれた眼、焦点の合わないまま深砂を映す。
身長差は大きくても座り込んだ体勢。
腰の上に載ってしまえば、何も問題無いまま届く。

未だ処女の身体でも唇は男を知っている。
深砂の中で龍の血が眠っていた頃、一度だけ。

あれは大して好きな男ではなかったけれど。
ただ、雰囲気に呑まれたと云うか。
記憶に残したのはべちゃりとした感覚くらいだった。
其処から先、肌を重ねる為の過程とだけしか見ていない類の。


だが、此の男は何かが可笑しい。

触れてすぐ唇を離しても無言。
突然の事に驚愕だけが支配している、としても妙だ。
大きな手で唇を覆って俯いたまま。

少し考えて、気付いたのは直後。
あまりにも普段と似つかわしくないものだから時間が掛かってしまった。
隠す仕草に含まれているのが恥じらいだと。
若しやとは思いつつ、背けた顔を此方へ向けさせる。

「…………ぁ、」

力の抜けた腕を退かすのは容易い。
大して抵抗もされず、深砂の前に露になった其の顔。

細められた翠は濡れて、縁まで朱色。
手入れの行き届いた生白い肌は染まると目立つ。
小さな可能性が確信に変わった。


まさか初めて?


正直、驚いたのは深砂の方。
此れが、あの苛立ちを撒き散らしていた男だと?
まるで乙女ではないか。
若さを保っていようと、霊獣の中でも龍は長寿。
人の年齢に換算しても和磨は上の筈だったが。

そうでなくても、手馴れてそうに見えたのに。
こんな表情など反則だ。


「別に……、僕には必要無い事だし。」
「一生掛けて独りで人形遊びするつもりだったんだ。」
「した事無いのがそんなに悪い……?」
「可愛い。」

此れも初めて言われたのだろう。
呆気に取られて瞬きを繰り返す様は妙に幼く。
思わず笑ってしまう口許。

指先が伸びたのも無意識のうち、緩やかに髪を撫で擦る。
掻き回す金茶は柔らかな巻き癖。
近距離で馨る髪に混じり、男の匂い。
こんな事になったりしなければ知らないままだった事。


「二度目も欲しいんだけど、嫌?」


片手を取っても引っ込められる事は無かった。
咥える軽さで指先にも口付けて、唇を当てたままで問い掛ける。
視線は射抜く強さ。
深砂だって挑む程の経験がある訳でもないのに、大胆不敵。
決して遊びや行きずりでは有り得ない。

逸らす事を許されない和磨はさぞかし苦しいだろう。
瞼を伏せて小さく唸る。
漸く言葉になっても、空気に溶けそうな囁く声量。

「嫌じゃない……けど、」
「何?」
「だって、もう、僕のプライド崩れちゃう……」
「私は捨てた上で言ってるけど。」

そう返されてしまっては諦念するしかあるまい。
辛うじて判る深さで頷いて、身を摺り寄せたのが応え。

抱き竦めるのではなく深砂の腕に収まる形。
どちらが男だか。
けれど不思議と悪くない気持ち。
いいや、寧ろ。

ああ、そうか、こう云う事か。

和磨に対する感情の正体を掴んだのは今。

彼はまだ花には成っていない。
水面へ引き摺り込んでしまいそうな身勝手さは、硬く纏った表皮。
紛れも無く一部であっても全てにあらず。
やはり自分は溺れてしまいたかったのではなかった。

剥がして、脆い中身を目にして、愛したかったんだ。


真っ直ぐに伸びた長い指は日々の作業で堅い。
短い桜色の爪を舌先で濡らすと、目の前の肩が一つ揺れる。
人形を作り出す為の大きな手。
他者の体温を知らずに冷えているであろう手。
そう思うと胸が締め付けられる。

喉を鳴らして流れた唾液を呑み込んだ。
先端から指の腹、掌までを唇で掠めてから手首に落とす。
出来る事なら体中に口付けてしまいたかった。

触れたい、触れてほしい。

「そう、良い子だね……」

口唇を合わせて漸く目を閉じた。
舌の伸ばされる気配どころか、睫毛が微かに震えてさえいる。
髪に挿し入れた方の手で変わらずあやしながら。
まだ重ねるだけでこんなにも心地良い。
もう少し、此の侭。




水面に舞った花弁、最初の一枚。
今も降り続けて止まず。
受け止める水鏡は埋もれて、もう独りではない。


命が果てた時、其の場所に芽が吹く事は無いだろう。
いつしか愛を作る彼女の唇は奥に牙を持った。
恋しい身体に切っ先を突き立て、それこそ骨の欠片さえも残さずに喰い殺す為。
尖ってしまったのは深く想えばこそ。

血華の中で彼はどんな顔をする?

欲しいと叫ぶ狂気は深砂の胸に。
肉食獣を繋ぐ鎖を握る手が冷たく痺れても離す事など出来ない。
いつか、引き千切れる日まで。
スポンサーサイト

2009.03.31